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2024年4月4日(金)   佐原・蔵の街 
 東京の桜が満開との報道があったが、千葉県佐原はまだ満開には早いと思いつつ、小野川河岸に建ち並ぶ、小江戸と呼ばれる町並みを見に出掛ける。佐原と言えば、日本全国を測量してまわり、日本地図を製作した伊能忠敬が有名であるが、今回は蔵に代表される町並みを見物することにする。
 「佐原」は三浦半島の佐原に代表されるように「さはら」と読むところが多いが、水郷の町佐原は「さわら」と読む。佐原は縄文時代の貝塚が発見され、延喜式にも記載されている香取神宮の門前町として発展した長い歴史をもつ土地である。
 佐原駅前ロータリーに出ると、曇天の空を背景に右手を掲げた伊能忠敬の銅像が迎えてくれる。
 観光案内所の女性に教えてもらったルートに従い、小野川に架かる開運橋に出る。小野川の右岸を上って行くが、緩く蛇行する河岸の両側に建ち並ぶ家々は同じような様式で建てられた木造建物で、調和的で風情がある。特に、川に面した建物は壁がほとんどなく、窓、出入口等が設けられた開放的な造りとなっている。特に、2階には格子がはめられていたり、あるいは転落防止のためか欄干(手すり)を設けて腰掛けられるようになっている。
 小野川両岸とその周辺は「重要伝統的建造物群保存地区」に指定されており、江戸時代、明治、大正の建物が現存している。しかも、当時の家業を継続して営んでいる家が多く残っている。寛政12年(1800年)に油の製造販売を始め、その後醤油製造も手掛ける正上(しょうじょう)商店の建物は天保3年(1832年)に建築され、千葉県の有形文化財に指定されている。 
  

 小野川下流の開運橋近くの家並み。利根川に注ぎ込む小野川の河岸には2階建ての商家建物、土蔵が建ち並び、小江戸と呼ばれるのにふさわしい街並みを呈している。

佐原駅前に建つ伊能忠敬銅像

 小野川左岸に建つ商店と思われる建物。2階は全面が窓となっており、低い手すりが設けられている。

 正上商店前で、コンサティーナの伴奏に合わせて踊る女性パフォーマー。コンサティーナの奏者は外国人男性であるが、スマホで撮影する男性もいて、今はやりのユーチューブで配信しているのかもしれない。

  佐原は利根川こ近く、うなぎが獲れたと聞き、家を出る時からうなぎを食べると決めていたため、天保2年(1831年)創業の長谷川で昼食を摂る。現在の店主は8代目だそうであるが、現在利根川は水が濁り、美味しいうなぎが獲れないため、他所の国産うなぎを提供しているとのことで、この日は鹿児島産のうなぎを食べさせてくれる。焼きあがるまでの時間を利用してビールを一杯。これも小さな旅の小さな楽しみ。
 香取街道沿いに建つ、天和年間(1681~83年)創業の馬場本店酒造の軒下には茶色に変色した杉玉が吊り下げられ、新酒が出来上がったことを知らせている。
 小野川の方に戻って行くと、大きな蔵のような建物3棟が繋がって建っている。これらは、酒造と醤油醸造業を営んでいた与倉屋が明治22年(1889年)に醸造蔵として建築した土蔵で、与倉大土蔵と呼ばれている。
 与倉大土蔵を見ながら小野川の左岸に出ると、対岸に伊能忠敬旧宅が建っている。左岸を進むと、香取街道と交叉する角に中村商店の五角形の建物と3階建ての土蔵が建っている。現在、土蔵では和雑貨を商っている。

 うなぎ屋長谷川。蒸して焼く、関東風の作り方であるが、東京など都心では蒸しが強いのか柔らかな歯ざわりであるが、長谷川ではそれに比べると少し硬めの印象を受ける。しかし、美味い。

 馬場本店酒造。佐原はやしと書かれた、こもかぶりの4斗酒樽が積み上げられている。

 左の切妻屋根の3棟が与倉大土蔵。妻面にはフックが何本も取り付けられているが、何に使ったのであろう?

 香取街道の忠敬橋の西詰に、明治27年(1894年)建築の3階建て土蔵、その先の安政2年(1855年)に建てられた建物は千葉県の有形文化財に指定されている中村商店。
 
 香取街道に沿って中村商店の対面には、それぞれ千葉県の有形文化財に指定されている正文堂、小堀屋商店、福新呉服店の建物が軒を並べて建っている。建物は3棟とも明治時代に建築されたものである。
 忠敬橋から小野川の下流を眺めると、左岸に寛政年間(1789~1801年)に現在の場所に移り住んだ、旧油惣商店(きゅうあぶそうしょうてん)の店舗と土蔵が建っている。漆喰壁の白さが美しい土蔵は寛政10年(1798年)の建築といわれ、佐原で最古の建造物であり、店舗建物とともに千葉県の有形文化財に指定されている。
 忠敬橋を渡って香取街道を東に向かうと、両側には蔵造りの商店が建ち並び、明治25年(1894年)に建築された中村屋乾物店の店蔵は千葉県の有形文化財に指定され、現在も営業を続けている。
 小野川沿いの建物は改修など手が加えられて装いも新しいものが多い印象を受けるが、香取街道沿いには往時のままの店蔵の商店が軒を並べて江戸時代、明治時代の面影を良く伝えている。しかし、古色然とした佇まいは観光客にとっては興味をそそられるが、地元の生活臭も感じさせ、飛び込みにくい印象を与えるため、ひと工夫加えてはどうだろうか。

 右から土蔵造りの店蔵形式の正文堂書店、1軒おいて天明2年(1782年)創業の蕎麦屋の小堀屋本店、文化元年(1804年)創業の土蔵造りの福新呉服店

 忠敬橋から下流の家並み。左岸の手前2棟が旧油惣商店の店舗と土蔵
 

 土蔵造りの中村屋監物店

 忠敬橋を渡った香取街道沿いの家並み
 
 佐原市内から循環バスを利用して香取神宮に参拝する。
 香取神宮は神武天皇の御代に創建されたと伝わっているので、神話の時代から存在する神社である。御祭神は出雲の国譲り神話に登場する経津主大神(ふつぬしのおおかみ)で、鹿島神宮の御祭神である武甕槌大神(たけみかづちのかみ)とともに出雲国の稲佐の小汀(いなさのおはま)に降り立ち、出雲国主である大国主神(おおくにぬしのかみ)に出雲国を譲るように迫り、見事国譲りに成功した神様である。経津主大神と武甕槌大神はそれぞれ、現在の千葉県と茨城県に建立された神宮に祀られており、お互いにライバル視していたのではないかと想像され、両県の太平洋沖でたびたび発生する大きな地震を抑えるために、境内にそれぞれ要石を祀っている。しかし、香取神宮の要石は凸形なのに対して、鹿島神宮では凹形の要石と形状も変えている。
 二の鳥居、一の鳥居と続く参道の桜は6~7分咲きとなり、曇り空で残念ではあるが、それでも今年初めての桜は目を楽しませてくれる。江戸時代中期に造営された楼門を潜ると、入母屋造りの拝殿の正面に千鳥破風、その背後には唐破風が設けられ、重厚な社殿が現れる。
 参拝を終えて楼門の脇道に出ると、楼門の袖壁前に佐原地酒の酒樽などが奉納されている。神様に酒は付き物で、日本の文化、心が自然と伝わってくる。

香取神宮 参道商店

香取神宮 二の鳥居。桜が6~7分咲き

 元禄13年(1700年)に造営された香取神宮楼門は、国の重要文化財に指定されている。

 香取神宮拝殿、その奥に建つ本殿は楼門と同じく元禄13年(1700年)に造営され、国の重要文化財に指定されている。

 地震はナマズが動き回るのが原因で起こると考え、要石でナマズの動きを封じることにより地震の発生を防ぐと言われている。 要石は地中深くまで続く石の一部が地上に現れたものと言われている。

 奉納された日本酒。佐原の地酒 佐原ばやし、東薫の酒樽も奉納されている。


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